加藤「あと何分?」
記録係「残り〜分です」
このやり取りを立て続けに何度もやる。一分将棋になってからでもやる。秒読みしている記録係は間違えるといけないのでとても緊張する。「もうありませんって言ってんだろ!」と、ぶち切れた記録係もいたらしい。
体重を乗せて力一杯駒を打ち付ける。普通はもっと手加減する。盤上の駒を吹き飛ばすこともしばしば。駒を割ってしまったことがあるという噂もある。
あるときの座談会で勝浦修九段が「もう私が負けとわかり形作りをしているような局面なのに、おもいっきり駒に体重をかけて、バチーンと打ちつけてくる。あれには参ります」と話していた。
山田史生『将棋名勝負の全秘話全実話』 講談社+α文庫,2002年,167頁
バッチーン!と音がして、盤上の駒がそこらじゅうに飛び散った。その瞬間、客席のいたるところで「おおっ」という驚きと喜びの混じったような声が響き、一瞬にして会場が熱気に包まれた。
橋本真琴「第29回近鉄将棋まつり」 日本将棋連盟『将棋世界』2002年10月号,205頁
(谷川浩司九段対加藤一二三九段・記念対局)
指す前に調子をつけるように手にした駒を盤にパチンパチンと叩きつける行為。空打ちした後に駒を元の位置に戻すこともある。古くは升田幸三なども空打ちを得意としていたらしいが、近年は加藤以外では稀。
以前NHK杯で内藤國雄が対抗して加藤と同時に空打ちした時は実に賑やかであった。
空咳と咳払いは区別して使われることもあるようだ。加藤の場合は極度の緊張からくる神経性のものと解されることが多いようだが、ストーブやエアコンに異常なこだわりを見せるので、もしかしたら本当に喉が悪いのかもしれない。
大内延介九段などは「あのセキ払いは気になってしょうがないので、やめさせてほしい」と理事会に申し入れたと聞いた。「気にしては損だとわかってはいるんだけど、気になるのだからしようがない」とぼやく。
山田史生『将棋名勝負の全秘話全実話』 講談社+α文庫,2002年,167頁
米長 それから対局中に空咳をするの。ある対局のとき、ぼくは「加藤さん、先輩だからってそんなに威張らなくてもいいじゃないですか」とこう言ったわけだ(笑)。「やめてくれ」と言うと、相手の気に障るからね。
−中略−
ところが、加藤さんは、それでもまだ空咳をする。形勢のよしあしなど、関係ないんだね。
内藤國雄・米長邦雄『勝負師』 朝日選書,2004年,76頁
序盤のなんでもないところでも平気で1時間以上の長考をする。第7期十段戦第4局では、一日目終了後自室で5時間、二日目封じ手開封後2時間の実質7時間の長考をしたことは語り草となっている。ただし1975年に出版された「加藤一二三実戦集」では自室で2時間考えたことになっている。その他では持ち時間6時間の第28期順位戦での長考4時間が有名。
なぜ長考するのか。加藤さんにインタービュウする人は誰でもその質問を発したはずである。僕はそういう馬鹿な質問をしなかった。なぜならば、加藤さんの長考は、彼の信念であり、道を求めることであり、彼の宗教であるからである。それは神の存在を問うことと同じになってしまう。僕には彼の答えがわかっているのだ。すなわち、彼は「笑って答えない」という答えを返してくるに違いない。
山口瞳『続・血涙十番勝負』講談社,1974年,43頁
封じ手が5二歩なのはわかっていた。就寝前、自室であれこれ読んでみたが、次の一手がピンとこない。二時間ほど考えて結論が得られぬまま、私は眠りに落ちた。
二日目、封じ手の5二歩を開いて再開。私は次の一手を求めて、早々から長考に沈んだ。そして模索するうち、突然パッと浮かんだ筋があった。
加藤一二三『加藤一二三実戦集 わが熱闘、珠玉の40局』 大泉書店,1975年,96頁
(第7期十段戦第4局 対大山十段戦)
▲5五銀を封じ手として一日目の激闘を終えた。対局場の神奈川県鶴巻温泉「陣屋」で、自室にこもって五時間ほどあれこれ熟考した。しかし、答えが見つからなかった。翌12月4日の再開後、さらに盤の前で約二時間熟考した。
加藤一二三『加藤の振り飛車破り決定版』 日本将棋連盟,2005年,30頁
(第7期十段戦第4局 対大山十段戦)
一手指すのに四十分考えれば一通りの変化は読みつくすようです。そのあとの考えはそこで得た考えをたしかめたり、右にするか左に行こうかと迷っている段階です。そういう時には、窓から空をながめて気分の転換を図ったりすることもあります。
加藤一二三『逆転の将棋』 青春出版社,1976年,72頁
自分は将棋の考え方に、大きな修正を迫られた。それまで、「将棋はいくら考えても、先行きを正確に見届けることは、不可能だ」と考えていたが、升田・大山の両天才とたたかってみて、「将棋をヨミ切った上で指してくる棋士が現実に居る」ことに衝撃を感じ、またそのことに深い魅力を感じた。
−中略−
ヨミ切れる将棋を自分も指したい。考えに考え抜き、先行きをとことんきわめてみたい・・・・・・。こうした思いは二十代の後半から自分をとらえ、以後、極端なことをいえば、「相手は問題ではない。目の前にある局面こそが問題だ」と思い、考えに考え抜くようになった。秒ヨミに追われるようになったのは、ヨミ抜けば抜くほどハッキリしてこないため、しだいに決断に迷うようになってからだ。
奥山紅樹『一流棋士六人が語るとっておきの上達法』 晩聲社,1982年,114頁
一日目に記録的な出来事が起こった。手番の加藤九段が午後四時五十八分から延々と長考に入ったのである。
−中略−
さて加藤九段は五時三十分どころか、七時になってもまだ指さない。当時の規定には「夕食時間は一日目は午後七時から午後八時まで、二日目は午後六時から午後七時までとする」とある。従ってこの日は一日目なので規定どおり午後七時から夕食休憩となった。
−中略−
午後八時から対局再開。そしてさらに長考は続き、午後九時十分、通算三時間十二分かけてようやく封じ手を行ったのであった。
−中略−
このとき、相手の中原十段は、もう指すことはないのだから席を外してもいいようなものだが、そこは律儀な人格者、熟慮する加藤九段同様、きちんと正座して盤上を見つめ続けていた。
−中略−
ともあれ、これに懲りて竜王戦では「夕食時間は一日目は封じ手後、二日目は終局後」と規約は改められている。
(*管理人注 第16期十段戦第7局の45手目▲2五桂が封じ手)
山田史生『将棋名勝負の全秘話全実話』 講談社+α文庫,2002年,158頁
・風呂でも長考
もうすごく昔のことで私が小学生か中学生の頃、NHKの確か日曜夜に「お笑いオンステージ」という番組があった。故三波伸介と伊東四朗が出演するコント番組で、最後に「減点ファミリー」*1というコーナーがあった。三波伸介が著名人の子供から色々と面白いエピソードを聞く内容。
これに加藤九段が出演したことがあった。確か子供は息子だったかな。それで、お父さんの(やめてほしい)クセとして子供が絵を描いたのだが、それが自宅の風呂につかりながら「ああやって、こうやって、すると……」と口に出して考えている、というものだった。
三波が「風呂の中でまで将棋考えてるんですか!?」と驚くと、本人もやや照れながら「いやー、どうしてもクセでねえ」みたいなことを答えていた。
Cablog Annex
気合が乗ってくると膝立ちになりズボンをずり上げる。和服のときでも袴をずり上げるので着崩れしてしまうらしい。
棋譜並べのときに盤を先後反転させて鑑賞・検討する人は多いと思う。加藤の場合、これを対局中にやってしまう。盤を動かすわけにはいかないので相手側に回り込み腕組みして盤を見下ろす。通常は手洗いから戻ってくるついでや相手が席を外しているときにやるのだが、熱が入ってくると相手がいてもお構いなしにやってしまう。
緊迫している局面で背後に回られたことがある。背中に張りつかれ、ネクタイが耳のあたりをチラチラ撫でるのにはさすがに困った
田中寅彦『百人の棋士、この一手』 東京書籍,2000年,113頁
先崎が見かけたときも加藤は例によって、相手側の方に立ってじーっと盤を睨みつけていた。5分、10分。静かにそして真剣に。さてはてどんな局面なのだろうかと先崎は近づいていった。そしてひっくり返りそうになった。
加藤が睨んでいたその局面はまったくの先後同型だったからである。
大崎善生『編集者T君の謎』 講談社,2003年,17頁
盤上の駒の乱れが気になるので、駒に触って直す。相手の駒にもさわる。序盤早々で駒がきれいに並んでいてもさわる。一つ一つの駒を慈しむようにゆっくりチョンチョンと触る様は実に優雅である。
神谷七段が「加藤さんがしょっちゅう私の駒にさわる。しかも私の手番のときにですよ。我慢できなくなって、私の駒にさわらないで下さい、と言った。それでもまだやるので、さわらないで!とまた言った。」
河口俊彦「新・対局日誌」 日本将棋連盟『将棋世界』2003年3月号,112頁
敬虔なクリスチャンなので対局中も賛美歌を歌う。十八番は典礼聖歌第7編 一般賛歌391「ごらんよ空の鳥」らしい。
クリスチャンである一二三さんは、賛美歌らしいものを口ずさみながら、終盤のきわどい寄せ合いを楽しむ様子だった。
「大山康晴全集第三巻」 毎日コミュニケーションズ,1991(第33回NHK杯決勝自戦記)
たとえばA級順位戦の日。何かの用事で5階に上がったときおごそかな歌声が静まり返った廊下に響いてくる。
−中略−
これこそが、将棋界では知らない人はいないといわれる加藤一二三九段の歌う賛美歌なのである。
−中略−
敬虔なクリスチャンである加藤は対局の合間を縫って、4階から5階に上がり、賛美歌を歌いながら祈りを捧げているのだ。
大崎善生『編集者T君の謎』 講談社,2003年,15頁
内藤 〔中略〕ある夜、升田先生と呑んでいたときに、先生、ぼくにこぼしてね。「内藤君、俺も対局中に浪曲をうなるけど、あの賛美歌はどう思うかね」と。浪曲のほうがまだ将棋に合うんだ。賛美歌を歌われると、どうも調子が狂ってしまう。
内藤國雄・米長邦雄『勝負師』 朝日選書,2004年,76頁
これといった特徴もなく、やや淡白。勝っても負けても気に入らないと一言もしゃべらず帰ってしまうことも。
駒をしまった加藤は結局一言も発しないまま対局室を後にしたのである。つまり、感想戦はまったくなかった。
NHK杯は始めての宮田はちょっと戸惑っていた。「こういうことはよくあるんでしょうか」と聞く。「うん、ある」と中川が答える。「加藤先生は、納得ができないとそうなんだ」。
−中略−
念のため付け加えると、解散の際にはていねいなあいさつをいただいた。
小田尚英「宮田敦史五段・加藤一二三九段」日本放送出版協会『将棋講座』2004年7月号,69頁