【棒銀一筋】加藤一二三の魅力【神武以来の天才】

[最終更新日:2007年2月11日]

記録

最年少棋士 (2006年1月7日更新)

第9期順位戦C級2組西組(1954年度)デビュー。この時14歳3ヶ月。四段昇進は1954年8月1日。
一般にプロ棋士=四段と思われているため、加藤の四段昇進を14歳3ヶ月とするものもあるが誤り。

[訂正]
1954年度の順位戦から参加しているため、1954年4月から各棋戦に参加したと思い込んでおりましたが、当時は「九月までに四段に昇段した棋士には順位戦参加資格がある」とのことで、実際のプロデビューはやはり四段昇進した8月以降のようです。したがって上記の”この時14歳3ヶ月”は誤りです。お詫びして訂正します。
ご指摘ありがとうございました。

718 名前:名無し名人sage 投稿日:2005/12/21(水) 15:54:10 ID:CbIia8t5
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最年少棋士
第9期順位戦C級2組西組(1954年度)デビュー。
この時14歳3ヶ月。四段昇進は1954年8月1日

と書いてありますが、
田丸昇「将棋界の事件簿現役プロ棋士の実話レポ−ト」
を読んだら、昔の順位戦は9月に始まって半年で全局を消化したとありました。
加藤先生のプロ入り当時の文芸春秋を調べたことがありまして、
「九月までに四段に昇段した棋士には順位戦参加資格がある」と書いてあって
不審に思っていたのですが、田丸の本を読んで疑問が氷解しました。

[参考]四段昇進記録
1.加藤一二三 14歳7ヶ月
2.谷川浩司  14歳8ヶ月
3.羽生善治  15歳2ヶ月
4.渡邊 明  15歳11ヶ月

最年少A級八段

第12期順位戦B級1組(1957年度)を12勝2敗で昇級。18歳。
C級2組からの4期連続昇級。ちなみに4期連続昇級は他に、芹沢博文、中原誠、谷川浩司、田中寅彦がいる。
しかしデビュー以来の連続昇級は加藤の他には中原のみ。芹沢・谷川はC級2組通過に2期、田中は4期を要している。

[参考]
1.加藤一二三 18歳 第12期(1957年度)
2.谷川浩司  19歳 第40期(1981年度)
3.加藤一二三 22歳 第16期(1961年度)
3.中原 誠  22歳 第24期(1969年度)
3.南 芳一  22歳 第44期(1985年度)
3.羽生善治  22歳 第51期(1992年度)

最年少名人挑戦

第14期順位戦A級(1959年度)を6勝2敗で挑戦権獲得。20歳。第19期名人戦(1960年4月14日)大山名人に初挑戦。
当時は順位戦と名人戦の期数が違う(第36期から統合)。混同して「第14期名人戦に初挑戦」とするのは誤り。
ちなみに直前の1月15日に結婚し話題となる。媒酌人は升田幸三。

 升田と親しい南口繁一九段門下の天才・加藤一二三も、上京して升田の世話になった。三十五年に二十歳・八段で京都の高校時代の同級生と結婚した時も、升田夫妻が媒酌人になった。
「仲人は梅原画伯」と書かれたこともあるが加藤ピン先生に訊くと「ええ、そう、どちらも正しいのです」と笑っていた。”ダブル仲人”ということらしい。
東公平『升田幸三物語』 角川文庫,2003年,217頁

最年少A級陥落

A級3期目の第15期順位戦A級(1960年度)に3勝6敗で降級。21歳。
ちなみに、「最年少A級は更新可能でも最年少A級陥落は更新出来ないだろう」というジョークもある。

最年少A級返り咲き

第16期順位戦B級1組(1961年度)8勝2敗で昇級。22歳。A級昇級の年少記録全体を見ても谷川に次いで3位。

最多A級昇級(降級) (2005年7月17日追加)

大半の棋士が一度もA級にまで昇級することなく現役を退いているにもかかわらず、加藤は5度もA級昇級を果たしている。もちろん最多記録。ただし、升田大山や中原米長などの普通の一流棋士は一度A級になったらずっとそのままなので、この記録が誇らしい大記録であるかどうかは微妙。すごいことはすごい。

[参考]
1957年度(18歳)昇級 : 1960年度(21歳)降級
1961年度(22歳)昇級 : 1965年度(26歳)降級
1966年度(27歳)昇級 : 1967年度(28歳)降級
1968年度(29歳)昇級 : 1988年度(49歳)降級
1992年度(53歳)昇級 : 2001年度(62歳)降級

[参考]A級昇級回数記録
1.加藤一二三 5回
2.花村元司  4回
2.熊谷達人  4回
2.内藤國雄  4回
2.大内延介  4回
2.田中寅彦  4回