【棒銀一筋】加藤一二三の魅力【神武以来の天才】

[最終更新日:2005年4月19日]

新聞雑誌

485 名前:森下戦の勝因はこれだった? 投稿日:2001/03/13(火) 20:47
(「週刊将棋」今週号13面、炬口勝弘氏の記事より)
 その朝、加藤九段はいつものように大きく両手を振り、白いコートをひるがえせて歩いてきた。長いネクタイがベルトの下まで垂れ下がり揺れている。その十年一日といってもいい姿。かたくなに居飛車、棒銀をつらぬく棋風にも似た姿を見て、ホッとし、うれしくなった。
 対局室に入っても同じだった。白熊のように盤の周りをグルグル回る。立ち止まっては天井を仰ぎ、盤面を注視する。それはテリトリーを確認する動物の本能的行動のようでもあったが、地鎮祭か何かの儀式で見せる神主さんの仕草のようにも感じられた。  恒例の検分は昼休再開時にもあった。一分のスキもないように、関係者は念には念を入れて設営していたのだが、それでも立っては天(井)を指さし、座しては天をにらんだり。そして、部屋の片隅、床の間の壁あたりをじっと見ていたかと思うと、入り口に居合わせた連盟職員のもとにツカツカと歩みより言った。
「電気ストーブを買ってきてもらえませんか。うん電気ストーブ、いいのをネ」
 壁を見ていたのはコンセントの位置を確認していたのだった。ストーブは結局、連盟にあったものが用意され、終局まで赤々とつけられることになる。
 襖ひとつ隔てて対局する森内八段はそのとき、隣のやり取りにニタニタ笑っていた。寒いですか、と聞いたら暑いですと言ってクックッと笑った。遅れて入室して事情を知らなかった青野九段は、暑いのは着物のせいかと思っていた。
「卓ちゃんの敗因は、火あぶりにされたからだよ。即座に窓を開け放つか、氷柱を用意させなかったからだ」
 あとで、口さがない棋界雀は、かつての三浦七段との“冷房スイッチ、オン・オフ事件”を思い出しては、楽しそうに、うれしそうに侃々諤々だった。はやりのネット対戦では絶対に起こりえない、生の勝負の面白さである。
 夜、10時56分。勝った加藤は、すぐに部屋を飛び出し階下の事務室で受話器を取った。「パパだけど、勝った。うん勝った」
 感想戦が始まったのはその、日本一短いパパの電話が終わってからだった。

※123先生への愛情がひしひしと感じられる素晴らしい記事だったので、長いけれど引用させてもらいました。ちなみに本紙紙面には、天井のテレビカメラをにらむステキな写真なども載ってます
78 名前:名無し名人 投稿日:2001/06/15(金) 23:03 ID:???
先日の日経新聞の夕刊に掲載された王座戦
本戦一回戦の対丸山名人戦の観戦記で、
加藤九段の面白エピソードが載っていました。

それによると、加藤九段は千駄ヶ谷界隈の
タクシー運転手に人気があるらしい。
加藤九段は対局の時JRの千駄ヶ谷駅から
将棋会館まで時々タクシーを利用するらしいの
ですが、距離が数百メートルしかないため、
ホンの数分で到着してしまうのです。

しかしその間、加藤先生は後部座席で背筋をピン
と伸ばし、両手の拳をひざの上に置いて、後ろに
もたれずにじっと座っているのだそうです。

それで、タクシーの運転手が声をかけると、まさに
破顔一笑という感じで、満面に笑みを浮かべて一気に
早口で相槌を打つのだそうです。

将棋会館に到着すると、加藤先生はおもむろに懐から
千円札を一枚出して、ていねいにお釣りを断ってから
降りるのだそうです。
千駄ヶ谷界隈の運転手の間では、加藤九段のことを、
親しみをこめて「ひふみさん」と呼んでいるのだ
そうです。
「オレ、今日、ひふみさん乗せちゃったよ。」
とか、会話されているそうです。
何か、いかにも加藤九段の逸話らしくてとても
ほのぼのとした気持ちになりました。
149 名前:名無し名人 投稿日:01/10/29 18:28 ID:V0w7LJwk
今週号の『週刊将棋』最終面に、123 vs タニー戦のことが大きく載ってるね。

[記事見出し]
加藤圧勝! 谷川連勝ストップ
持ち前の破壊力爆発

[写真キャプション]
指でリズムをとり読み筋を確認する加藤 ←(・∀・)イイ!

[本文記事より一部抜粋]
“信念の人”といわれている加藤にエピソードは尽きない。対局開始前も独特のパフォーマンスを見せた。
 用意されていた座布団を手のひらで確認し、他のものと交換した。続いて部屋の障子を整える。駒を並べ終えると一呼吸おき、記録係に注文を出す。加藤の左側に配置されていた記録机を右側に移動するよう指示したのだ。
(中略)
 強力な攻めで谷川を圧倒し連敗後の連勝で星を五分に戻した加藤。還暦を超えなおこの充実ぶりは目をみはるものがある(内田)。
231 名前:名無し名人 投稿日:01/11/06 21:56 ID:q5c+HgYy
日経11/6夕刊王座戦第三局:羽生−久保:記 河口
 館内中央のブリッジを渡っていると、下のコーヒーハウスに加藤九段がいて、
ケーキを食べている。リゾート地だから、和服の正装は目立つ。一回りして
またブリッジに戻ると、まだ加藤さんがいて、やはりケーキを食べていた。
 控え室に戻ると行方六段がいたので、誘ってコーヒーハウスへ行った。加藤さん
はケーキを食べ終えて、ピアノ演奏に聴き入っている。やがて私たちに気付くと
会釈して出ていった。
 さっそくウェートレスを呼んで、加藤さんがいくつ食べたか聞いた。「ニつです」
と言ってから、娘さんは「午前中も見えて二つ召し上がりました」
 首をすくめてニッコリした。
 昼をしっかり食べているのを見ているから、二つでも驚くが、四つとは・・・。六十一歳
になって、なおA級を維持している秘密がわかったような気がする。
 ついでに書いておけば、この後、加藤さんは順位戦で全焼の谷川九段を破り、
二勝二敗となっている。この分では今期もA級から落ちないだろう。
―――――――――――――――――――――――――――――――
※「今期もA級から落ちないだろう」失礼だぞゴルァ!
※これ何の観戦記だ?
511 名前:夜のハプニング 投稿日:02/02/20 22:51 ID:4e4te8bt
加藤は▲1九飛とさした後けげんな顔をして立ち上がった。連盟職員が夕休中に
エアコンをつけ、そのまま音をたてているのが気になったようだ。
止めようと思ったのだろうが様子がおかしい。壁に複数あるスイッチを次々と
押していき…。突然部屋が真っ暗になった。加藤が電灯を消してしまったのだ。
すぐに点灯させ…ようやくエアコンの停止に成功!

羽生は天真爛漫(^^)な笑みを浮かべ筆者の方を見た…

加藤は朝、自分でエアコンのスイッチを止めたのだが…
【昨日のこの欄では部屋の首振りの電気ヒーター?は自分のほうに寄せたけれど
羽生がセキを2回目にしたとき少し羽生のほうに寄せたと書いてあった(笑)】
将棋に集中するうちスイッチの位置など忘れてしまったらしい…
こうした面が62歳でA級を張る凄さにつながっているのではないか。(中砂)
525 名前:名無し名人 投稿日:02/12/17 14:14 ID:FmobOXK7
NHK将棋講座テキスト1月号から、11月10日放映分観戦記より

放送時間終了まぎわに、米長永世棋聖が「久しぶりに3人でウナギでも食べに
行きましょうよ」と提案した。加藤がこのふたりとウナギを食べて一杯やった
ら、これは確実に10大ニュースにはいる。はたせるかな、控え室に戻って、
加藤は気にするふうもなく、さっさとひとりで退出した。

3人で飲みに行くというのは実はなかったんだ。
324 名前:名無し名人 投稿日:02/11/10 01:36 ID:hPxxkO6F
迷っているところへ声がかかった。
「内藤さんーというの? ボクと一番指してみましょうか」

(中略)

しかしこのときの誘いは冗談に思われた。
声の主があの加藤一二三だったからだ。
奨励会に入って間もない、末席の私の名前を知っていることからして不思議に思ったくらいである。
それにもし二人が指すとすれば三段と五級。
七級差で手合いは飛車落ちとなる。
その頃の私は神戸の道場でアマ三段の人にも負けないようになっていた。
奨励会に入った二ヶ月の間で香一本は確実に強くなったと自分で感じていた。
いくら加藤一二三でも自分に飛車を引くなんて無茶なことはやらんだろう、と思った。

しかし加藤さんは本気だったのである。


内藤国雄 「私の修行時代」より
328 名前:名無し名人 投稿日:02/11/10 04:45 ID:hPxxkO6F
奨励会員は二十人くらいだったが、最初の日から加藤一二三さんだけはすぐに分った。
重戦車と呼ばれる今の体型とは全く逆で、細身で目元がすずしかった。
奨励会はいわば地元では戦う相手もなくなり、神童とか天才とか云われた者達の集まりである。
その中にあって、加藤さんは一きわ輝いていた。
将棋で生活が出来るようになるかどうか、奨励会の戦いは悲壮なものである。
全員が盤の前におおいかぶさる姿勢。
熱気がムンムンする中で、加藤少年の背筋はいつも伸びていた。
加藤さんの周りにはすずしさがあった。
”神童”の集まりの中にあって、”ハキダメにツル”のおもむきがあった。
十四歳にして大人(たいじん)の落着きがあった。
「ボクはな、八割の力が出せればそれでいいと思って指してるんや」
と云ったのを聞いたことがある。
私を含めて奨励会員は、何が何でも勝ちたい、持てる力を全部、
いやそれ以上の力を発揮しなければと必死で戦っていた。
私と同い年の少年にどうしてこんなに余裕が持てるのか。
(中略)
天才タイプにはときどきお目にかかるが、天才とはこの世の中でそう会えるものではない。
しかしあの頃の加藤さんには、天才という呼び名が実にぴったりしていた。

内藤國雄「私の修行時代」より
945 名前:名無し名人 投稿日:04/09/29 00:19:40 ID:saYyM+iD
第四期棋王戦第三局 将棋世界昭和54年五月号 より抜粋

第一局、第二局と、パン食だった加藤は、本来の姿に戻って、
天ぷら盛り合わせに、ご飯。
米長は逆に前二局の加藤のまねをして、トーストにホットミルクを注文した。
もっとも実際は芹沢八段のざるそばを横取りしたが……。

ここでおやつの注文を聞く。
加藤は「ミカンに、ヤクルトジョア三本」。米長はすました顔で「ミカン三十個」。
さっそく大量のミカンが運ばれ、盤側はミカンの山。
果物屋の店先で将棋を指しているような格好となった。

夕食のメニューは二人とも昼食と同じ。
昼も夜も天ぷら、というのが加藤流で、こうこなくては、加藤らしくない。
98 名前: 32 04/11/17 01:00:35 ID:q5FrUZmc
この間第4回日本一争奪杯決勝の棋譜を調べてきました。
途中で時間切れになったので棋譜UPは後日ということになりますが、
第1局の観戦記に興味深い記述を見つけました。
決勝の相手丸田祐三が珍しく和装だったことを話題にした後、

「ところで、きょうの加藤にも珍しいところがあった。それは
きれいにヒゲをそっていることである。いつもは無精ヒゲを伸
びるにまかせている彼だけに、そりあとの美しさが目に付く。」

無精ヒゲを伸ばしている加藤先生なんて全く想像できません。
105 名前: トリビアスレより 04/11/25 22:18:44 ID:qn9Y+Z5A
933 :名無し名人 :04/11/24 18:41:29 ID:Uq/25kjf
控え室の前庭にいた4匹の猫も雨宿りのため、窓際にいる。
加藤九段は、その猫に近付いて行き「ハロー」と手を上げて挨拶した。
「君達も、将棋に興味があるのかい?」
普段は、朗らかで、場の雰囲気を明るくしてくれる人だ。


今年の名人戦七番勝負第二局の観戦記。
195 名前: 32 04/12/24 21:57:39 ID:waCd8cdq
本日は棋譜だけではありません。
図書館で「加藤一二三」で検索すると
「さっくばらん神父と13人 井上洋治対談集」主婦の友社
という本が引っかかりました。井上洋治氏はカトリックの偉い方で、
主婦の友社がキリスト教文学選集を発刊した際その月報で行われた
対談をまとめたものだそうです。
加藤先生も対談相手の一人で、冒頭の話題から第3期棋王戦の直後に
行われた対談と思われます。
宗教関係の話を二点、要約筆記してきたのでご紹介します。

1.洗礼
 初めて教会に行ったのは24才のとき。関町教会の内山神父に
公教要理を習って受洗寸前までいった。1968年に子供が白百合幼稚園に
入ったとき再びカトリックの勉強をはじめた。家族はその年のクリスマスに
洗礼を受けた。「どうも私の性格の中に優柔不断というか、ちょっと
徹し切れないところがあって」洗礼を受ける前から教会にはしばしば
出入りしていたが自分から洗礼を受けたいとは言わなかった。
 それが、当時小学四年生だった息子が、真剣な調子で「パパはいつ
洗礼を受けるのか」といった。普段は無口な息子がそう言ったので、
こっちも真剣になり、これはいつまでもぐずぐずしておれないという
感じになった。1970年に洗礼を受けることになった。
196 名前: 32 04/12/24 22:06:27 ID:waCd8cdq
2.対局前の祈り
 対局の前に祈る気持ちになったのは1972年、米長八段との対局の前の日に
ふと「自分は洗礼を受けて今日まで来たけれど、いままで対局の前に祈った
ことはなかった、それはおかしいんじゃないか」と思って受洗した下井草
教会に行って、四時間ぐらいお御堂にいた。そして翌日の対局でいままでに
ない充実した将棋がさせた。それがきっかけで1972年度の名人戦の挑戦者に
なった。
 今、三鷹にすんでいて、近くに深大寺のカルメル会の修道院がある。
対局が近くなるとそのあたりを歩くことが多い。ときどきカルメル会の門を
叩いて開けてもらってお御堂に入ることもある。対局前はだいたい午後一時
ごろに家を出て、調布教会も回って家に帰る、そして本番に向かう。
825 名前: 名無し名人 05/03/16 20:52:14 ID:S1oEPgbG
 「私の勝った将棋は完勝に近いものが多く、負け多将棋は逆転負けが多い。
控えめにいっても100局は、勝ちを逃している。逆転負けはどんなに内容がよくても、
時間の使い方や決断のしかたに欠点があるわけだから、この講座には使わない。
これから大勝負の勝局ばかりを解説するのは、以上の理由による。」講座4月号
857 名前: 名無し名人 05/03/19 14:15:24 ID:CBV8/7PE
山田道美将棋著作集、第八巻より
ピンさんの勝負手

二年前の夏。ある日、ボクは加藤君と宵の銀座を散歩していた。ボクの記憶に誤りが
なければ、たしかバッハの「ロ短調ミサ」か、何かのレコードを借りるために、加藤
君を訪ねたときだったと思う。
その頃加藤君は虎ノ門に下宿していて、そこから入学したばかりの早大に通っていた。
そして、夕方になると、夕食と気晴らしをかねて銀座へ毎日のように散歩していたの
である。
銀座の人波は、久しぶりにこの都心へ出たボクを驚かして、こんなことを言わせた。

「この中に、真に生き、生きるに値する人は何人いるのかしらねー」
「いや、みんなムダ手だと思うナ」

加藤君はぽつんと言った。自分の考えをふだんあまりださない彼には珍しい言葉であった。